人を楽にさせることは結局その人のためにならないという話

育児や家族

これまで、自分がやれば他の人は楽になると思ってました。

家族、特に子供や親のことを代わりにやってあげれば本人は楽ができます。

仕事でも、本来は契約に入ってないことを「いいですよ、私の方でやっときます。」みたいな感じで代行すれば喜ばれます。

なぜ、そうしているのかと、ふと考えたんです。

人の役に立つことが嬉しいから?

いや、違うような気がします。

結局のところ、自分が楽をしたいからなんじゃないかな?と思ったわけです。

それって子供のため?

朝の支度を子供にやらせると、とても時間が掛かります。

ついイライラします。

子供に家事を手伝ってもらうと、自分でやった方が早かった!というケースが多いです。

ついつい「もういいよ」ってなります。

自分にとっては簡単なことでも、未経験の人に頼むと説明が難しいし面倒くさい。

結局、自分が全部やってしまうわけです。

自分がやった方が早いし楽なんです。

相手が楽なんじゃなくて、自分が楽なんです。

問題は、相手の人が「いつまでたっても自分では出来ない」ということ。

仕事なら、お客様に喜んでもらえて、めでたしめでたしなんですけどね。

相手が我が子となると、本人の成長を妨害しているかもしれません。

母を気遣ってるつもり

高齢の母に代わってゴミ出しをしようときのこと。

「それくらいは自分でやらないと、体が動かんようになるから。」と母に断られました。

数少ない母の運動の機会を奪ってしまうところだったわけです。

この話も、一見すると「高齢の母を気遣っている」ように見えますよね。

でも、深層心理は少し違うんです。たぶん。

高齢の母がゴミ出しをすれば、時間が掛かるし、もしかすると転ぶかもしれません。

転んで怪我でもされたら、そっちの方が大変です。

だから、自分でゴミ出しに行った方が楽だと判断したというわけです。

もちろん、母を気遣っていることは間違いないのですが、気持ちの数パーセントには、そういった「自分が楽するため」という心理が働いていたことは否めません。

相手のためなら「手を出さない」こと

子供や家族だけでなく、会社の部下や後輩でも同じだと思います。

「時間がかかるし、ミスったら返って手間がかかるから、自分がやる」という思考は、相手の成長を止めてしまうことなんです。

出来そうにないことでも、やらせてみる。

面倒でも丁寧に説明する。

上手く出来なくても、出来るまで辛抱。

それが本人のため。

まさに、

やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ

です。

人を育てるのは難しいです。

自分でやれば楽なんですが、それは相手のためにならないわけです。

その人を育てたいなら、安易に手を出さず、じっと我慢することなんだろうと思います。

自分でやるより、何倍も大変なことなんですけどね。