介護に明け暮れた20年間を母は一粒の涙で洗い流した

こぼれ話

私の母親が祖母を介護した話です。

長年の介護をした母の気持ちなど、いつもと違って真面目に書きました。

読んでください。

 

介護のはじまり

私の父方の祖母は、華奢な身体つきにもかかわらず大きな病気をすることもなく、ひとり暮らしを満喫しながら歳を重ねてきた人でした。

そんな祖母が、ある日転んだのです。

台所のチョットした段差につまづき転んでしまいました。

その拍子に足を骨折。

そして入院。

しかし、もともと元気だった祖母は順調に回復し、ひと月を待たずして退院することができました。

退院したといっても、自力で歩くにはもう少し時間がかかるので、我が家で看護することになったのです。

日々回復していく祖母でしたが、事件は突然起きました。

寝起きが不自由な祖母のために購入した「自動リクライニングベッド」の操作を誤り、祖母がベッドから落下してしまったのです。

落下の衝撃で、今度は『骨折していない方の足』を骨折。

以後、祖母は寝たきりになってしまいました。

母の仕事が「看護」から「介護」に変わった瞬間です。

 

自分の親ではない人の介護

私の母から見れば、寝たきりの祖母は『実の母親』ではありません。「姑」です。

寝たきりになった姑を介護することになったのです。

母と祖母は特別に仲が悪かったわけではありませんが、特別に仲が良かったわけでもありません。

そんな間柄の姑の食事や身の回りの世話、ひいては下の世話までを母はひとりで請け負ったのです。

月日が流れたある日、珍しく母が愚痴をこぼしました。

「ちゃんと食事をしているのに…」

母が言うには、食事を3食きちんと食べさせているのに、祖母は「ごはんを食べさせてくれない」と父に告げ口するのだそうです。

何年も寝たきりになっていた祖母に、認知症の症状が出始めたのです。

 

認知症との闘い

祖母の認知症は年々悪化していきました。

そのころの私は既に独立して実家を出ていたので、たまの休みに実家へ帰省する程度だったのですが、帰省したときには必ず祖母の部屋を訪ねていました。

最初のころは「よく帰ってきたね」などと、ごく普通のやりとりができていた祖母。

しかし、あるとき帰省した私を見た祖母が、母親に「小遣いをあげて。久しぶりに帰ってきてくれたんだから5円あげて!」と言ったのです。

私が孫であることや、久しぶりに帰ってきたことは理解できていたようです。

ただ、金銭感覚が昔の記憶とごちゃ混ぜになっているようで、祖母の意識の中での「5円」は大金だったのです。

進行する認知症に一番苦しんでいたのは母でした。

日を追うごとに食べたことを忘れ、記憶が前後し、やがて会話が成立しなくなっていきました。

 

祖母の最期の日

祖母の認知症に苦しみながらも、早朝から仕事に行く父親の世話や家事もこなし、献身的に介護を続けていた母。

その日は、朝から医師の往診日でした。

診察を終えた医師から「特に悪いところはありませんね」と告げられ、一安心した母。

洗濯機を回し、祖母に朝食を摂らせ、朝の片づけをしていると、「ピーピー」という耳障りな音が聞こえてきました。

洗濯機が洗濯の終了を知らせるアラーム音です。

母は、洗濯機から洗い上がった衣類を取り出すと、2階のベランダへ洗濯物を干しに行きました。

洗濯物を干し終わった母は、ベランダの向かいにある祖母の部屋を何気なく覗いたのです。

そこには、ベッドで眠る祖母がいました。

しかし、毎日のように祖母を傍らで介護していた母は、祖母の異変に気付きました。

静かすぎる・・・

母は眠る祖母の枕元に急ぎ、慌てて呼吸と脈を確認しました。

このとき、祖母は既に亡くなっていたのです。

母は、午前中に診察してくれた医師に慌てて連絡し、医師も慌てて自宅へやってきました。

医師は祖母の亡骸を診て「寿命です。こんなに安らかな顔は見たことがありません」と母に告げたそうです。

病気でもなく、発作でもなく、祖母は祖母の人生を全うし最期を迎えたのでした。

 

葬儀の日

通夜のときも、葬儀のときも、母は気丈に振る舞っていました。

医師から「おばあちゃんは本当の寿命で亡くなったんです」と言われ、介護に明け暮れた20年間が「報われたようだ」と母は語りました。

祖母が寿命を全うしてくれたことに安堵を覚えていたのかもしれません。

葬儀が終わり、自宅に帰ってきた母がポツリとつぶやきました。

「長いこと介護してきて、嫌なこともいっぱいあったけど、おばあちゃんの遺影を見てたら涙が出てきてね…」

そんな母に、「長い間の介護お疲れ様」と声を掛けたら、思いがけない言葉が返ってきたのです。

「介護から解放されて嬉しいっていう感じはないんだよね。」

「それより、明日からあの部屋におばあちゃんが居ないって思うと寂しいの。」

20年という長い時間が、実の母娘のような感情を産み出したのかもしれません。

 

そして現在の母

現在、母は「独り暮らしのお年寄りに弁当を配達する」というボランティア活動をしています。

介護から解放され、子供も独立し、やっと手に入れた「自分の時間」を、母は老人福祉のボランティア活動に使っているのです。

なんかねぇ、人のためになってる自分が楽しいのよ

これ、おばあちゃんに教えてもらったの

だそうです。