子供は叱るべきか!叱らないべきか!という論争について考えてみた

育児や家族

ちょっと前に、尾木ママや東尾理子さんが、”叱らない子育て”で炎上しまくってましたね

私も二人の子の親として「どうなん?」と思ったので、考えてみることにしました

前出の尾木ママや東尾さんは「叱らない」という内容の発言だったことが原因で炎上しておりました

「怒らない」ならわかるけど叱ることは必要だろ!という批判が多かったようです

怒ると叱るの違いは、親が感情的になったか否かで区分されるのが一般的なわけですが

私が思うところ、親が意図的に子供を叱責するのは「叱る」ということになるんだと考えられます

つまり、叱られた子供が、そのことを「どう受け止めるのか?」までを見越しているかどうかが重要で

後先を考えずに感情的に怒鳴り散らすのは「怒る」ということになるわけです

問題なのは、親としては叱ってるつもりでも、子供にとっては怒られたと受け止められるケースが少なくないのではないかということ

これは、単に親の説明不足が原因になっていることが多いように思います

例えば、子供が皿を落として割ってしまった場合を考えてみましょう

親の頭を最初によぎるのは、皿の破片で子供がケガをしないだろうか?危ない!という心配

次に、この皿の破片を残らず掃除するのは大変だな~という絶望感みたいな失望感

そして、なぜ皿を落としてしまったのか?という疑問

一方、子供の方はといえば、皿を割ってしまった罪悪感と後悔の念に苛まれながらも

親から「怒られる」という恐怖を同時に抱くのです

親はまず「どうしてお皿を落としたの?何をやっていたの?」という質問をすることになります

そして、いつも注意していることを守らずに危なっかしいことをしていたのが原因で皿を落下させていようものなら、親は烈火のごとく子供を怒ってしまうのです

「だからいつも言ってるでしょ!お皿はフリスビーじゃないんだから遊んじゃダメでしょ!うrぃるjーだkjfs4jd」

親からしてみれば、過去に注意していたことを守っていないという部分にブチ切れているわけですが

子供からしてみれば、お皿を割ってしまったことを怒られてると受け止めちゃうわけです

ここが説明不足なのですね

よく、「怒ってはだめ」といわれるのは、どうしても「何を怒られているのか」が子供に伝わらなくなるからなんです

叱るという方法にすれば、親は冷静になって「皿で遊ぶから、こんな危ないことになったでしょ」と伝えることができます

皿が割れたのは、結果でしかないのです

ビジネスの世界で若手社員を育てる場合でも、結果が悪かったことをグダグダと言ってもしょうがありません

なぜ、悪い結果になったのか?私の言ってたことをキチンと実行したのか?という部分を叱ることで、彼らは反省し成長できるというものです

子供に対しても、「何がいけなかったのか」をはっきりと認識させなければ意味がないのです

つまり、「皿が割れたことを怒られたんだ」と思った子供が今後何に気を付けるかというと

皿を割らないように気を付けるか

或いは

皿が割れたことを親に知られないようにしよう、と気を付けることになるのです

未成年者が煙草を隠れて吸うのは、煙草を吸っていること自体を怒られているのだと彼らが思っているからなのです

未成年のうちから煙草を吸うと、成長過程において大きなリスクがあり、あなたたちの体が心配なのですよ

ということが伝わっていないのです

叱るとは説明すること

子供に分かってもらうことなんだと思います

単純に「危ないからダメ」ではなく

なぜ危ないのか?どう危ないのか?言うことを聞かずに危ないことをするとどうなるのか?

ということを、ひとつひとつ教えていくことが子育てなんだと思うんです

2×4=8です

4×2も8です

なぜ、両方とも答えが同じなの?という小学1年生の子供の質問に

「そりゃ、そういうもんだからだよ!九九なんか丸暗記すりゃいいんだよ」

これは、とある塾講師の言葉です

残念ながら彼は教育者では無かったようですね

叱ると怒るの違いは、子供が過ちを繰り返さないための予防になっているか否かにかかっている、とても重要な教育方法の区分だと感じるわけです

などと書いてたら、息子がやってきました

あっ!こらっ!パソコンのコンセント触っちゃダメだろ

「なんで~」(息子)

なんででも!お前が触っちゃダメなものなの!

これじゃ、ダメなわけですよ

私の目を盗んでコンセントを引っこ抜くこと間違いなし!なわけですよ

というわけで、時間となりました。

息子には、あとでゆっくり言って聞かせますね

(PR)
GIQ子ども能力遺伝子検査