今朝、ふと洗濯機を見るとフタが閉まっていました。
それだけならまだしも、電源は刺さっているし水栓も開いています。
素人目に見ても中に洗濯物が入っていることは一目瞭然。
どうやら妻が早朝に洗濯機を回し、そのまま仕事に出掛けてしまったようです。
さすが全自動洗濯機!衣類をぶち込んでスイッチ押しとけば勝手に洗い上げてくれる。
さすが全自動・・・ついでに全自動で干して欲しい。
さらには、全自動で取り込んで、全自動でたたんで欲しい。
というわけで、全自動洗濯機が全然全自動じゃない問題について言及します。
洗濯は「洗う」ことばかり注目されてきた
そもそも洗濯というと「洗う」部分がクローズアップされがちです。
いかに汚れやニオイを落とすか!という課題に各メーカーが凌ぎを削ってきたわけです。
その結果、とても優れた全自動洗濯機や洗剤や漂白剤が開発されました。
しかし、洗濯の作業工程は大きく分けて4つあります。
①洗う
②干す
③たたむ
④片付ける
洗う前の仕訳作業やネットに入れる作業など、細かい工程もあります。
でもって、現代の洗濯機が全自動にしたのは「①洗う」の部分だけ。
「それでも、大昔に比べれば随分楽になったよ」と私の婆さんが言ってましたが、本当にそうなんでしょうか?
洗濯機が全自動になった部分とは
洗濯機の枕詞に「全自動」が付き始めて既に数十年が経過しました。(たぶん)
全自動洗濯機以前の洗濯機は全自動ではなかったわけです。
昔の洗濯機の代表格といえば2槽式。
洗濯槽と脱水槽が別々になっている、昔の独身寮でよく見られた例のアレです。
濯ぎが終わったら、人力でせっせと脱水槽に衣類を移し替える必要がありました。
しかし、全自動洗濯機になってからは、この「移し替え作業」は不要となり、洗う→濯ぐ→脱水までが一気貫通で処理されるようになったのです。すばらしい!
素晴らしい?
たったこれだけ?みたいな感じですよね。
実は全自動洗濯機の「全自動」というのは、ある特定の部分だけが全自動になったという意味です。
例えば、洗濯コースを選ぶだけで、水量や洗剤量や洗い方や時間をコンピュータが自動設定してくれるという機能とか。
洗濯機の歴史を遡ってみると、それまで「手作業」でやっていた部分を「自動化」させていった感じ。
洗濯機は徐々に進化を遂げ、今では全自動で「洗ってくれる」便利機能を搭載した家電になったというわけです。
さらに、乾燥機能付きの洗濯機も開発されたことで、洗うから干すまでが全自動になりました。
もっとも、衣類の素材によっては乾燥機が使えないケースも多いので、本当の意味で「干す」が全自動になっているかどうかは「?」なんですけどね。
ここからが本題です
さて、洗濯機の歴史を振り返ってみたところで、本題に移ります。
そもそも、なぜ、こんなことを言い出したのかというと、
ある日の妻の一言がきっかけでした。
仕事が忙しく洗濯する時間が無かった私。
溜まっている洗濯物を見た妻は言いました。
洗濯なんて全自動なんだから、やっといてくれればいいのに
洗濯という作業を、このように簡単に考えている人が何と多いことか。
簡単に考えているから、ちょっと着ただけの上着を洗濯カゴに放り込むんです。
今こそ声を大にして言いたい!
「全自動なのは洗う部分だけなんだよ」
「そのあとの干す、取り込む、たたむ、片付ける、は全て手作業だよ」
令和になり、最新テクノロジーが広がる現代社会においても、洗濯作業の一部分しか全自動化されていないんです。
真の全自動化のためには?
とは言うものの、干す、取り込む、たたむ、片付ける、を全自動にするのは超絶困難を極めます。
過去には、AIを使って「全自動衣類折りたたみ洗濯機」なるものを開発した企業がありましたが、開発費がかさみ敢えなく倒産。
誠に残念です。
それだけ、この作業を人間以外が行うことは難しいという話。
結局は人間がやるしかないわけで、このことを家族が理解することが一番大事なんだと思います。
洗濯機を回せば、その数十分後には「干す」という作業が発生します。
つまり、小一時間は出かけることもできないわけです。
ちょっと時間が空いたからといって、うかつに洗濯機をセットするわけにはいかないのです。
さらに、乾いたら取り込み、たたみ、片付けるという作業も発生します。
洗えばいいってもんじゃないわけです。
「お父さん、私のTシャツってどこ?」とか聞かないで欲しいわけです。
結論としては、家族の理解と協力が必要だという話。
洗うと干すは私がやるとして。
取り込む、たたむ、片付ける、の部分は家族全員でやればいいんじゃないでしょうか。
そうなれば、
①洗う~全自動
②干す~一部全自動(乾燥機)
③その他作業~ほぼ全自動(家族)
となり、真の意味で洗濯の(ほぼ)全自動化が実現できるのですけどね。